東京五輪3日目の25日、東京都江東区が会場となった新競技・スケートボード男子ストリートで、地元出身の堀米雄斗選手(22)が初代王者の座を射止めた。幼い頃から堀米選手の成長を見守り、この日もテレビで躍動にエールを送ったスケートボード仲間は快挙に沸いた。(田村美穂)
「雄斗は『地元での開催だから金メダルを取りたい』と言っていた。夢をかなえたことが本当にうれしい」。堀米選手の父・亮太さん(46)とスケートボードを通じた親交があり、堀米選手とも楽しんできた渋谷区立小職員の
堀米選手は、生後間もない頃から亮太さんに連れられて練習場所がある地元の公園にやってきた。父親が滑っている間、龍野さんら仲間たちがあやしていたという。時にはスケートボードがゆりかごの代わりになることもあった。
2、3歳頃になるとボードの上に立って大人たちに囲まれながら遊び、プロのスケーターの技術も間近で学んだ。龍野さんは「まさに英才教育だった」と振り返る。
堀米選手が本格的にスケートボードにのめり込んだのは小学生になった頃。下校後は自宅近くのこの公園にたびたび通った。才覚を見抜いて将来の活躍を確信した大人たちは、さらに体幹を鍛えてスピード感を身につけてもらおうと、足立区の練習場に通うよう助言したという。
実力をめきめきと伸ばした堀米選手は、9歳頃には空中で1回転半する大技を成功させるように。龍野さんは「いつも明るくスケボーを楽しんでいたけれど、根性があって技を決めるまで何度も練習していた」と成長ぶりに目を細める。
新しい技に挑む時は、いつも大人たちが励ました。「できたらお菓子を買ってあげるよ」と言うと、堀米選手は小さな体で果敢に難易度の高い技に挑戦した。成功させると亮太さんは小さな頭をなで、仲間たちも「雄斗、よくやったね」とたたえた。はにかんだように笑う様子は大人たちみんなに愛され、帰り道にコンビニ店で買ったビールと堀米選手お気に入りのジュースで乾杯した。
米国で「スケートボード界のカリスマ」と称されるダニー・ウェイさんに少年の時からあこがれ、堀米選手は活動拠点を米国に移した。龍野さんが最後に会ったのは2019年の年末だった。かつての仲間とビールで再会を祝し、海外の大会で出会った選手や技の話で盛り上がった。間近に迫っていた東京五輪について、「地元の江東区でやるんだから優勝したい」と力強く話す姿が印象的で、自分の活躍を通じて国内でもスケートボード人気を高めたいという夢を語っていた。
突き抜けるような青空の下で迎えた晴れの舞台で、堀米選手は高いジャンプで大技を決め、10点満点中で9点台を続々とたたき出した。妻(53)と一緒に
地元開催の大会で夢をかなえ、「江東区で自分のベストな滑りができて本当にうれしい」と語った堀米選手。龍野さんは「雄斗の活躍で競技への子どもたちの関心が高まるだろう。国内でスケボーを気軽に楽しめる環境が整い、『次の雄斗』が誕生する瞬間を心待ちにしている」と会心の笑顔を見せた。
からの記事と詳細 ( スケボーが「ゆりかご代わり」だった堀米雄斗、2・3歳頃から大人に囲まれボード遊び - 読売新聞 )
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